續補註:
在琉球的歷史事件上稱為「オヤケ赤蜂の乱」。
オヤケ赤蜂の乱八重山大浜地域の遠弥計赤蜂保武川良(おやけあかはちほんがわら)という人物が、王府に対して貢物も出さず謀反をくわだて、八重山および宮古にいたるまで支配下におさめようとの野心を抱いていた。王府は遠征軍を派遣して、宮古の仲宗根豊見親と多良間の土原おそろ(ンタバルオゾル)とともに石垣島へ向かった。ところが、すでに戦闘態勢を整えていた赤蜂軍の防備にあい、王府軍はなかなか島へ上陸できなかった。それに対し、同行していた久米島の神女・君南風(チンペー)の奇策により上陸をなした王府軍は、一挙に赤蜂軍を鎮圧し、八重山におけるオヤケ赤蜂の野望をうち砕いた。