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路地の奥にあるお廟(道教寺院)に伺うと、おじさんたちに怪訝な顔で見つめられた。

「你好,聽說這裡有日本人的神明(あのぉ、こちらに日本人の神さまがいらっしゃると伺ったのですが)」
「ああ、いるいる、お祀りしているよ。ひょっとしてアンタ、日本からわざわざ来たのかい?」
そう言っておじさんたちは、祭壇から日本人の神さまを出してくれた。

森川清治郎。植民地台湾の日本人警官でありながら、台湾の人々の教育や衛生のために尽くし、最期は総督府が人々に重税を課すのを止めようとして自害した神奈川県生まれの日本人はいま、「義愛公」という神さまになっている。
おじさんたちの談笑の輪に加えられ、茶をしばかれた。おじさんたちは滔々と語る。
生前の彼が台湾の人々のために尽くしたこと、神さまになった義愛公の「故郷」は日本ではなくここから少し離れた海岸の街・東石にあって、ここはそこから分霊されたこと、「誕生日」は農暦(旧暦)の4月8日であること…
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「誕生日になると、神さまを東石にお連れするんだよ。神さまの『故郷』だからね」
そういっておじさんたちは、徒歩で進香(分霊元の祖廟などに巡礼)したときの写真を誇らしげに見せてくれた。
日本人警官森川清治郎は死んだのではない。目の前にいる日本人の神さまは当たり前のように「生きている」。
義愛公だけではない。台湾の神々は人間と同じように、そこで「生きている」。
生きているからこそ、誕生日を祝い、人間がご馳走を欲するようにお香や爆竹を欲し、霊験譚によって亡霊から神さまに出世し、ときには旅に出るのだ。
そして人々は生きている神さまのすぐ傍にいて、
補足 総督府による重税賦課を止めようとして失敗し自害した義愛公/森川清治郎を、単なる「親日」の表象としてだけ見るのは無理があるでしょう。また、台湾において日本人の神さまの多くが民主化以降に盛んに祀られはじめたのに対して、義愛公は戦前から祀られていた点など特殊な存在でもあります。
台湾において日本人の神さまが祀られていることを、単に「親日」だけで説明するのはかなり無理があること、その根底には華人世界特有の信仰文化があることは、たとえば北大の藤野陽平先生が説明されている(メディア人類学入門13「メディアが作り出す台湾の日本神」
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