masaka says
宇野常寛「庭の話」を読んだ。グッドハートのAnywhereとSomewhereな人々の分断からアーレントのグレート・ゲームをとくに現代のSNSによる自己承認に結びつけ、そこから自由になるための手がかりとしてクレマンの「動いている庭」を取り上げ、その条件を「ムジナの庭」などの実践や國分功一郎や吉本隆明や坂口安吾を引いて考えていく。が結局「庭」的な場所を設けても限界があるとしてまたアーレントに戻ってその制作(Work)の快楽を知るために労働(Labor)と行為(Action)の両側からアプローチするという。各論は広がりがあって面白かったが最後はやや苦し紛れの感じも