masaka says
後鳥羽院の「すゝか河~山田の原の時雨をそ聞」の歌について塩井雨江が「上流の山田の原の木々の」と説明していると(丸谷才一が紹介して)いうので、それは無理だろうと思ったら、この山田は外宮ではなく「鈴鹿川の上流の原とみる説」もあると古典文学全集の注で見て少し驚く。近くの図書館が使えずこれ以上調べられないのがもどかしい