masaka says
巻頭の鼎談で河合隼雄が《自分自身のことを考える、感じるというところに「こうすればこうなる」という自然科学を入れ込んだ》と述べ、中沢新一が《仏教の解脱は常にプロセスなのにそれを「最終解脱」にしてしまったところがおかしい》というのも通じる話だ。この時点でも、オウムとは何かについてはかなりの掘り下げが試みられていた。刑の執行によって麻原自身の言葉で何かを語ることはかなわなくなり、ここからは歴史となる。単純にカルトとして片付けてしまうのでなく、裁判記録も含めた資料と証言によって、その位置づけと教訓を確かめる研究が始まるのだろう