masaka says
オウムについては、そもそも宗教といえるのかなど自分なりの整理が必要と思って、imagoの中沢新一編集による特集号(1995)を買ったりしていたのだが、読む気にならないままとりあえず自炊していた。この機会に拾い読みしてみると、川崎賢子の述べる《修行中の臨死体験でかいまみた宇宙のイメージを仏教風タームによって分節化し充填してゆく。そして仮死の身体に接続されたメディア、ドラッグ、テクノロジーに振幅の増大が委ねられる》、渡辺直樹が麻原の宗教的なものについての考え方とは最初は共感する点も多かったとしつつ《仏教用語あるいは考え方を稚拙な“科学”で証明し解釈しようと試みていた、マニュアル的解釈をマスターしただけで身体超能力の開発実践に心地よさを求めてしまった》と指摘するなど、ああそうかなと思う点は多い